俺は3人兄弟の末っ子(兄、姉、俺)で、母は足に障害を持ちながらも俺達3名を女手一つで育ててくれた凄い人なんだ。
正直父親の記憶は殴られた記憶しか無い。
それは兄も姉も同様で、離婚した後は見事に兄が親父のDVの血を引き継ぎやがった。
姉は毎回俺を庇ってくれて傷だらけ。
さらに兄は母親にも手をあげる始末。
ヘルメット、バット、掃除機、一通りの物では殴られたかな。
姉は上と下の前歯、計6本折れて病院送り。
徐々に優しかった母と姉もおかしくなっていった。
母は兄を怖がり3日や4日家を空けるようになり、姉は彼氏の家に入り浸るようになった。
残された俺中学1年生。
兄とは8つ離れているので当時兄は21歳位、姉は1個下の20歳。
当時一番上の甥っ子は4歳、次男は2歳。
4歳の甥っ子が何か粗相をやらかしたらしい。
姉は鬼の形相で長男を叩いていた。
勿論長男大泣き、姉貴の手のひらは真っ赤。
だけど止められなかった。
昔の兄貴と姉貴が被って見えて、動きたくても動けなかったんだ。
それから姉の子供達への躾と称した虐待が始まった。
甥っ子が何かやらかす→暴力→甥っ子大泣き→姉も後悔で大泣き
これの繰り返し。
やがて甥っ子達は俺がちゃんとお片付け出来て偉いね、と頭を撫でようとしただけでも怯えた表情を見せるようになった。
そして遂に、甥っ子達は泣かなくなった。
というよりも、感情が無くなってしまったように見えた。
『もう、限界』
『これ以上この子達を傷付けたくない』
『私は母親失格』
元々やせ形だった姉は、毎日吐いてばかりで骨と皮だけになっていた。
バイトバイトで知ってて見て見ぬふりをしてきた俺のせいだと思った。
だから提案をした。
『可哀想だけど少しだけ施設に入れよう。姉貴はその間にカウンセリングに通って、立派な母親になろう』
これしか無いと思った。
審査の結果、当時の姉には子供達を育てる力が無いという事で甥っ子達は施設へ。
姉は約束通り定期的にカウンセリングを受け、母は私にも責任があるとデイケアやリハビリで良い方の足の筋肉をつけるトレーニングをして、家の中や近場への買い物程度なら杖を使わなくても歩けるまでに回復した。
俺は相変わらずバイト三昧。
朝昼晩で働いても正直中卒の俺には稼げる額なんてしれたもので、母の病院代、姉の病院代、そして家賃や光熱費や食費や3人分の携帯代。
流石に高卒の資格を取るために貯めていた貯金を少しずつ切り崩しても限界があって。
家賃も滞納するようになり、光熱費も払えなくなっていった。
だから最終手段、と携帯を止められる前に兄貴に連絡を取った。
その頃兄貴は某有名企業の正社員になっていて、年収800万稼げる迄になっていた。
兄貴に事情を説明して、必ず返すから金を貸してくれないか、藁にも縋る思いだった。
だけど兄貴は一言
『は?俺お前らに特に借りとかねぇし。なんで貸さないといけないわけ?』
俺、プッチーンね。
『ふざけんな!お前が実家に居た間、お前家に1円でもお金入れたか!?入れてねぇよな!?誰の金で飯食ってたんだ!?俺の金だよな!?』
多分もっと色々言ったと思うけど、熱くなりすぎて忘れた。
兄貴からは
『てめぇ!誰に向かってそんな口を聞いてんだ!?』
ってキレられたけど
『お前だよ!クソ野郎!』
って言い返したら切られた。
冷静になった後にやってしまったって思ったけど、丁度姉の元旦那(再婚済み)から電話が掛かってきて、子供達の様子や姉貴の様子を聞かれたからありのままに話した。
元旦那、根はいい人で
『原因は俺。月にいくらあれば生活出来る?言われた分振り込ませてくれ』
甘えて最初の月は滞納している家賃含めて15万。
次の月からは8万〜10万を振り込んで貰うことにした。
お陰で生活は多少楽になり、姉も回復、カウンセラーからもう大丈夫というお墨付きを貰った。
甥っ子達を一緒に迎えに行った時、姉貴が震えていた事、甥っ子達が泣きながら姉貴に駆け寄り、姉貴も泣きながら抱き締めて子供達に謝り続けていた事、俺は一生忘れないと思う。
姉貴は昔のような穏やかで優しい姉貴に戻ってた。
朝起きた時、夜眠る時、必ず子供達を抱き締める。
叱る時も手を上げずに子供達を座らせて何が悪かったのかを言い聞かせる。
甥っ子達は立派に育ったよ。
小学生高学年になった頃には、スポーツも出来て勉強は…少し苦手だったみたいだけど、友達も沢山出来た。
これが本当の幸せなんだって思っていたら、兄貴が実家に婚約者を連れて帰ってきた。
母はやっぱり自分の子だからと、嬉しそうにその婚約者に一生懸命手料理を振る舞った。
母は決して料理が得意な訳じゃない。
兄貴を嫌っている姉は嫌々ではあったが、手伝うよ、と声を掛けたらしいが、お母さん一人で作りたいのって嬉しそうに言われたらしい。
だから俺と姉は料理だけを運ぶ事にした。
不格好な料理がテーブルに並ぶ。
『さぁ遠慮しないで食べて』
満面の笑みのお母さんを見て、お母さんがいいんなら…その時はそう思っていた。
婚約者の言葉を聞くまでは。
『これ…手料理??』
『こんなの食べられません。出前取ってもいいですか?』
俺と姉ポカーン(゚Д゚)
母は恥ずかしそうに笑いながら
『…そうよね。ごめんね』
って。
しかも婚約者の言葉を止める所か、そうだそうだ、ピザが良い…キレやすい家系なのかな。
最初に姉がキレたけど、せっかくカウンセリングにまで通ったんだから止めろと止めた。
その代わりに俺がブチ切れた。
ごめん、母さん。って一言かけて、兄貴とその婚約者に向かってテーブルを思いっきりひっくり返してやったよ。
そのまま床に落ちた母の手料理を鷲掴みにして無理矢理2人の口に突っ込んだ。
『マズいか!?本当にマズいのか!?子供の為に作った料理が!!本当にマズいのか!?』
泣きながら叫んでた。
兄貴からは勿論手が飛んできたよ。
思いっきり頬を何度も殴られた。
だけど俺は何度も落ちた料理を拾っては2人の口に突っ込み続けた。
口の中の鉄の味を今でも覚えている。
兄貴には左手を噛まれて後に左手に障害が残るわけなんだけど。
だけどやがて婚約者の方からは泣きながら
『ごめんなさい…ごめんなさい…美味しいです…美味しいです…!』
と自ら床に散らばった残骸を掻き集めながら食べ始めた。
ここまでの状況な。
甥っ子達→お婆ちゃん(母)を抱き締めながら泣く
姉→俺を抱き締めながら泣く
俺→噛まれた左手と殴られた口から血を流しながら泣く
婚約者→謝りながら手掴みで料理を食べながら泣く
まさにカオスだよな。
泣いてる俺も情けないけど、今回ばかりは身を引くのは嫌だった。
『てめぇはどうすんだよ!?』
確か兄貴にこう叫んだと思う。
兄貴はブチ切れながら
『てめぇらとは縁を切る!孫も見せねぇ!』
そう叫んでテーブルをぶっ壊して婚約者の手を引いて家を出てった。
婚約者は最後まで謝り続けていた。
それからは兄貴とは完全に縁を切った。
だけど暫くして知らない番号から母の携帯に電話が。
兄貴と結婚して嫁になったあの婚約者からだった。
兄貴の携帯を盗み見て、自分の携帯から母に電話してきたらしい。
母は暫くその嫁と話していた。
電話が終わった頃、母に話し掛けたら母が泣いていて、また何か言われたのかと俺はキレそうになった。
でも母は違うという。
母曰く
嫁にあの日の事を謝られた事。
嫁も昔虐待にあっていて、母のに限らず誰かの手料理全般が食べられなかった事。
でもあの日の母の手料理は暖かくてとても美味しかった事。
だからレシピを教えて欲しいと言われた事。
私もお義母さんのような母親になりたいと言われた事。
母は泣いて喜んでいた。
その時にはもう俺の左手はうまく動かなくなっていたけど、母の涙、ちゃんと拭えていたかな。
そんな母も去年亡くなった。
数年前から内蔵系の病気で入退院を繰り返していたから、そろそろなのかなって思ってはいたけど、64歳。
早すぎだろ。
でも母親って本当に凄いのな。
亡くなる数日前に
『私が死んだら〇〇(兄貴)に知らせて欲しい』
『そして葬式に〇〇が来たら、嫁には御線香を上げさせてほしい』
『〇〇は私の子供。でも〇〇に御線香を上げさせるかどうかは2人(俺と姉)が決めていい』
それが母の遺言だった。
母が亡くなり、俺は遺言通りに兄貴に連絡を入れた。
嫁と葬式に顔を出すとの事だった。
だけど俺と姉の意思は決まっていた。
葬式の日、親戚やら母の友人、俺や姉貴の友達の親まで来てくれた。
改めて母の人望の厚さを知った。
3LDKの家(団地)は、母を死を嘆く人で一杯になっていた。
そんな中、兄貴と嫁がやって来た。
兄貴は欠伸をしながら、嫁の方は玄関で深々と頭を下げていた。
姉はそんな嫁に頭を上げるように促し、家の中へ、母の棺の前へと促した。
俺はその逆。
家に当たり前のように上がろうとする兄貴を思いっ切り突き飛ばした。
はい、兄貴キレますよね。
『仕事を休んでまで来てやったのにその態度はなんだゴラァ!!』
俺、生まれて初めて人を殴りました。
感覚の無い左手で。
後ろ向きに倒れた兄貴に馬乗りになって、何度も何度も左手で。
左手は感覚が鈍ってる分殴ってて痛いとか無いし、その頃には俺も恰幅が良くなってて兄貴に負ける気がしなかったし。
だから止められるまで殴り続けたよ。
その日、初めて兄貴の涙を見た。
その日、初めて兄貴の土下座を見た。
その日、初めて過去から解放された気がした。
『お前が家に上がるのは母さんが許しても俺が許さん。大体お前の方から縁を切ったんだろうが!いつまでも家族面してんじゃねぇ!』
兄貴は口から大量の血を流しながら、俺と姉、そして周りの人達に深々と頭を下げた。
結局兄貴から謝罪の言葉は最後まで無かったが、心が晴れやかな気持ちになれたのは久しぶりだった。
嫁は案の定居づらそうにしていたが、母の友人達から
『貴女の話は聞いている』
『良いお嫁さんだって褒めていた』
『△△(母)さんも貴女に見送って貰えたらきっと喜ぶ』
その言葉を聞いて、母が嫁の事を自分の娘のように可愛がっていた事を知った。
母の最後の遺言、叶えてあげられたかな。
母の葬式から数ヶ月、兄を全力で殴ったせいで左手の中指と薬指の付け根の骨折が治り始めた頃、兄と嫁は離婚した。
そんな嫁は今は実家で俺ら家族と一緒に暮らしている。
毎日台所に姉貴と本当の姉妹のように立ってるんだ。
母の仏壇にも毎日手を合わせて、お腹の子供の話をしてる。
誰の子供だと思う?
俺の子供なんだぜ?
兄貴の元嫁は、今度は俺の嫁になる予定。
高校1年生になった長男、中学2年生になった次男。
2人の甥っ子達、そして姉も子供の誕生を楽しみにしてくれている。
お腹の子供は、幸せな家庭の中で立派に育てる。
その為に今俺もカウンセリングに通ってる途中。
DVって遺伝するっていうから。
俺は生まれてくる子供を、俺達みたいな虐待サバイバーにしたくないから。
カウンセラーの先生からは、良くなってきている。後数回のカウンセリングで済むと思う。という御言葉を貰った。
先生から大丈夫というお墨付きを貰ったら、籍を入れる予定。
ちなみに高卒認定にも受かり、俺もちょっと遅めの某企業のサラリーマンです。
人伝に聞いた話だと、兄貴は県外で酔っ払って暴力振るって刑務所に入れられたとか。
本当かは分からないけどさ。
兄貴を初めて殴り倒したあの日、俺は十数年分の復讐が出来たと思ってるけど。
だけど、嫁と子供と、姉と甥っ子達と、笑顔の絶えない幸せな家庭を築いていくのが更なる復讐で、亡くなった母への遅い親孝行だと思ってる。
長々とスッキリしない話をすまん。
だけど決意の意味も込めて初書き込み。
俺、精一杯生きていきます。