日本歌謡界の女王、松田聖子。常に輝き続け、多くの人を魅了してきた彼女の周りには、常に様々な噂がつきまとってきた。中でも、実兄・蒲池光久氏との関係は、長年、世間を騒がせてきた一つだ。
聖子と光久氏は、年の離れた兄妹として知られている。幼少期から非常に仲が良く、聖子の芸能界デビュー当初から、光久氏はマネージャーとして彼女の活動を支えてきた。聖子のステージ衣装のデザインを手がけたり、楽曲提供を行うなど、その才能は多岐に渡る。しかし、兄として、そして仕事のパートナーとして、あまりにも聖子に寄り添いすぎる光久氏の姿は、次第に「異常なまでの献身」と囁かれるようになっていく。
特に、聖子の結婚、離婚、そして再婚といった人生の転機には、常に光久氏の存在があった。マスコミの前に姿を現すことはほとんどなかったものの、影ながら聖子を支え続け、時には彼女の代わりにマスコミ対応を行うこともあったという。このような光久氏の献身的な姿は、一部から「聖子のためなら、自分の全てを犠牲にすることも厭わないのではないか」とまで言われるほどだった。
しかし、その一方で、光久氏へのバッシングも日に日に強くなっていった。聖子の結婚生活が破綻する度に、「兄の過干渉が原因ではないか」と噂され、聖子の仕事上のトラブルにも、「兄の独断専行が原因」と批判されることも少なくなかった。
そして、2012年、聖子の娘である神田沙也加さんが急逝するという悲劇が起こる。この時、葬儀を取り仕切り、憔悴しきった聖子を支えたのも、他でもない光久氏だった。しかし、この出来事をきっかけに、二人の関係は決定的なものとなる。
沙也加さんの死後、光久氏が代表を務める事務所の経営が悪化し、多額の負債を抱えていることが発覚したのだ。さらに、光久氏が聖子の個人事務所から多額の資金を流用していたという疑惑も浮上し、世間を騒がせることになる。